【10月18日】~アジア版NATO~
2024年10月18日
余談ながら「猿」というみじめなあだ名が明治時代の日本人に冠せられています。
風貌が猿に似ているという事もあるでしょうが、要は西洋文明を猿マネする民族という侮蔑も込めているのでしょう。
この日本人の猿まねについて、最初激しく侮辱したのはモノマネされた西洋人ではなく、お隣の中国・朝鮮人でした。
明治維新によって大変革を遂げ、開国したり、髷(まげ)を切ったり、洋服を着たり、鉄道を敷いたり、ヨーロッパでの産業革命を真似しようとしたのですが、旧文明の中にいる中国や朝鮮から見れば、己の風俗を捨てる愚かな民族に見えたでしょうし、西洋人から見れば滑稽な猿まねと見えたのでしょう。
韓国の公文書では「人にして人にあらず」と嘲り、ロシア皇帝ニコライ2世は日本人を「マカーキ(猿)」と公式な場で発言したことがロシア議会の記録に残っています。
模倣やパクリを猿と言うのであれば、相互にモノマネをして発達したヨーロッパ各国こそ、先駆者の猿でありパイオニアの猿と言えるのでしょうが、猿同士のなかでも黄色人種の猿ともなると笑いものになってしまうところに日本人の辛さがあるのでしょう。
繰り返しになりますが、維新後国を挙げて西洋化しようとした日本と日本人は、先進国から見れば滑稽至極な存在であり、アジアの隣国から見れば己の風俗を捨てた唾棄すべき存在でしかなく、どちら側からも友情や好意といったものはなかったようです。
しかし、当の日本人は大まじめであり、産業技術と軍事技術は西洋よりも400年遅れていて、それを一挙にまねることによって、出来れば一挙に身に着け、それによって西洋同様の富国強兵に追いつこうとしたし、追いつけなければ中国同様の亡国寸前の状態になると思っていました。
言うなれば、日本が長年積み上げてきた己の過去をかなぐり捨てたすさまじいばかりの西洋化には、日本帝国の存亡がかかっていたのです。
あくまでも余談のつもりで書いています。
米中対立が激化し、世界情勢が2つの極を軸に展開しつつあるように見えます。
その状態を鑑み新総裁となった石破氏は、アジア版NATOを創設し米軍の核兵器を共有すべきか議論しようと発言しました。
つまり、軍事力に勝る攻撃的な大国への防衛を適切に行わない国にどんなことが起こり得るか考えろという事です。
つまり、今後の地政学を想定し、核兵器の保有や抑止方法について吟味しろという事です。
冷戦の延長線でドイツ、ベルギー、イタリア、オランダの各国はアメリカの核兵器を共有し、自国内に配備しているという事実があります。
この機会だからこそ、核の議論をタブー視せずに日本という国と国民をどうすれば守れるのか、様々な選択肢を視野に入れるべきだと思うのです。
過去ウクライナは世界第3位の核保有国でしたが、その核を放棄する代わりに安全を保障することになっていました。(ブダペスト覚書1994年)
結局この約束は反故にされましたが、もしあの時に戦術核だけでも残していたらこのような事になっていたでしょうか。
核の共有という思考が現憲法の平和主義や非核3原則から大きく逸脱することは承知しています。
議論が白熱し、場合によっては内外から侮蔑的な発言もあるかも知れません。
それでも明治の時代人同様、日本と日本人を守るためにNATO基準で見た「核への備え」も猿真似した方が良いのではないかと思うのです。
地下シェルター整備計画が全国的に動き出すことを想定し、放射線の遮断シートを商品化した【6998】日本タングステンに関心。
投資調査部 内田
風貌が猿に似ているという事もあるでしょうが、要は西洋文明を猿マネする民族という侮蔑も込めているのでしょう。
この日本人の猿まねについて、最初激しく侮辱したのはモノマネされた西洋人ではなく、お隣の中国・朝鮮人でした。
明治維新によって大変革を遂げ、開国したり、髷(まげ)を切ったり、洋服を着たり、鉄道を敷いたり、ヨーロッパでの産業革命を真似しようとしたのですが、旧文明の中にいる中国や朝鮮から見れば、己の風俗を捨てる愚かな民族に見えたでしょうし、西洋人から見れば滑稽な猿まねと見えたのでしょう。
韓国の公文書では「人にして人にあらず」と嘲り、ロシア皇帝ニコライ2世は日本人を「マカーキ(猿)」と公式な場で発言したことがロシア議会の記録に残っています。
模倣やパクリを猿と言うのであれば、相互にモノマネをして発達したヨーロッパ各国こそ、先駆者の猿でありパイオニアの猿と言えるのでしょうが、猿同士のなかでも黄色人種の猿ともなると笑いものになってしまうところに日本人の辛さがあるのでしょう。
繰り返しになりますが、維新後国を挙げて西洋化しようとした日本と日本人は、先進国から見れば滑稽至極な存在であり、アジアの隣国から見れば己の風俗を捨てた唾棄すべき存在でしかなく、どちら側からも友情や好意といったものはなかったようです。
しかし、当の日本人は大まじめであり、産業技術と軍事技術は西洋よりも400年遅れていて、それを一挙にまねることによって、出来れば一挙に身に着け、それによって西洋同様の富国強兵に追いつこうとしたし、追いつけなければ中国同様の亡国寸前の状態になると思っていました。
言うなれば、日本が長年積み上げてきた己の過去をかなぐり捨てたすさまじいばかりの西洋化には、日本帝国の存亡がかかっていたのです。
あくまでも余談のつもりで書いています。
米中対立が激化し、世界情勢が2つの極を軸に展開しつつあるように見えます。
その状態を鑑み新総裁となった石破氏は、アジア版NATOを創設し米軍の核兵器を共有すべきか議論しようと発言しました。
つまり、軍事力に勝る攻撃的な大国への防衛を適切に行わない国にどんなことが起こり得るか考えろという事です。
つまり、今後の地政学を想定し、核兵器の保有や抑止方法について吟味しろという事です。
冷戦の延長線でドイツ、ベルギー、イタリア、オランダの各国はアメリカの核兵器を共有し、自国内に配備しているという事実があります。
この機会だからこそ、核の議論をタブー視せずに日本という国と国民をどうすれば守れるのか、様々な選択肢を視野に入れるべきだと思うのです。
過去ウクライナは世界第3位の核保有国でしたが、その核を放棄する代わりに安全を保障することになっていました。(ブダペスト覚書1994年)
結局この約束は反故にされましたが、もしあの時に戦術核だけでも残していたらこのような事になっていたでしょうか。
核の共有という思考が現憲法の平和主義や非核3原則から大きく逸脱することは承知しています。
議論が白熱し、場合によっては内外から侮蔑的な発言もあるかも知れません。
それでも明治の時代人同様、日本と日本人を守るためにNATO基準で見た「核への備え」も猿真似した方が良いのではないかと思うのです。
地下シェルター整備計画が全国的に動き出すことを想定し、放射線の遮断シートを商品化した【6998】日本タングステンに関心。
投資調査部 内田